嘉泉窯 かせんがま
創業は安土桃山時代。平戸藩御用窯を経て現当主金氏葉子は十五代に当たります。三川内焼の特徴である繊細緻密な手描きをベースに、献上品として描かれていた唐子など幅広い作品を手がけています。
また、オリジナルブランドを開発したり、新鮮さを失わないアイデアで、もてなしや日常使いの場面にとけこむうつわづくりを続けてきました。三川内焼ならではの白さや薄さなどを活かしたうつわや、九州の磁器の源を彷彿とさせるうつわづくりに積極的に打ち込んでいます。
- 住所
- 長崎県佐世保市三川内町685
- TEL/FAX
- 0956-30-8201/0956-30-8202
- info@kasengama.com
- 展示・販売所
- あり
- カード支払
- 可
- 代表的な技法
- 薄胎、墨はじき
窯元「いま」語り
金氏葉子 かねうじ・ようこ
「やればできる」という精神
私は三川内の生まれではありません。嘉泉窯の15代目嘉一郎(かいちろう)に嫁いで、三川内に来ました。以来、裏方として工場に入っていました。夫がいた頃はデザイナーを置いていたので、デザインのイメージを伝えたり、うつわに文字を書いたり。また、夫が請け負ってきたさまざまな依頼をまとめることもしていました。
ですから夫が亡くなった際も、一般的な業務を引き継ぐことができました。夫が誰に依頼をして、どういう作業をしていたか。実際にわからないところは、その人に会いに行って聞いてみました。
夫が亡くなった当初は、息子・健多(けんた)が一人前になるまでこの窯の屋号を残すだけにしようと思っていました。しかし、会社を小さくしすぎて新しい商品を出さないと休業中だと思われてしまいます。どうにかして何かを発信しなくてはいけません。
専門家だった夫が、「これをつくるのは難しい」「手に負えないぞ」というものがありましたが、半分素人の私にはそんな意識がまったくなかったので、むしろさまざまな挑戦ができたと思います。
「やればできる。できなかったら、機械をつくり変えてみよう」
嘉泉窯で今、手がけている「ましろ」といううつわも、そういった経緯から生まれました。三川内焼は「薄胎(はくたい)」と呼ばれる薄く透き通るような白磁を手がけています。夫はその薄胎をより丸みのある形でつくりたいという思いがありましたが、「難しい」ということで止まっていました。
私は生地づくりや金型の職人さんたちと取り組み、筒状からどんどんふくらませて、丸みのあるうつわ、さらに先がすぼんでいる形状までつくるにいたりました。
御用窯として栄えた三川内焼。本来だったら守るべき伝統があり、それを代々継承していくものです。私の場合は、これから息子が追い求めるものを軸にして、その肉づけを私が整えていこうという意識で手がけています。
三川内焼の歴史を掘り下げる
天草陶石と三川内の陶工が出合ったこと。それが三川内焼の最大のロマンです。これを継承していくことが、一番の基本だと思っています。三川内焼を主張するのであれば、天草陶石は絶対に外せません。
天草陶石の特徴は、粒子が細かいことです。だからこそ、龍の細工をしたり、薄胎をつくり上げたりすることができました。そして、天草陶石と網代陶石との調合が成功したことにより、さらに発展していきます。
三川内焼の歴史を調べれば調べるほど、三川内の陶工たちは素敵なものと出合い、なんと素晴らしいものをつくり上げたのだろうと、感謝の気持ちでいっぱいになります。そのために、三川内焼をもっと育てていかなくてはならないと思っています。
昔の伝統を受け継いでいるのは、今、90歳くらいの方でギリギリです。自分が見たり、師匠から手ほどきを受けたり、三川内焼の歴史を伝えたりできる人がどんどん少なくなっています。私はその心を伝えていきたいと思っています。
そして、嘉泉窯としては、「墨はじき」の技法を生かし、江戸時代の男性的な絵柄をもっと柔らかくしたいと考えています。そして、温かみがある、明るい光を感じる、そういう絵付にシフトしていきたいと思っています。
インタビュー:2020年10月25日