陶房義窯 とうぼうぎよう
幕末に一世を風靡したのは、輸出向けの赤絵の洋食器でした。ここでは、染付を行った上で赤や緑、金銀を加える「染錦(そめにしき)」を得意としています。三川内焼のみならず、これまで有田焼、伊万里焼、波佐見焼など、肥前地区の磁器のデザインを手がけ、その経歴を生かし、改めて三川内焼らしさを追い求めます。本来は染付で描く部分が赤絵になっているところや、スピード感のあるタッチ、明快な絵柄が目を惹きます。
- 住所
- 長崎県佐世保市桑木場町326
- TEL/FAX
- 0956-30-8772
- 展示・販売所
- なし
- カード支払
- 不可
- 取り扱い
- 三川内焼美術館、三川内焼オンライン・ショップ
- 代表的な技法
- 染錦、赤絵、唐子絵
窯元「いま」語り
陶房義窯当主 速見義徳 はやみ・よしのり
デザイナーとして培った経験
三川内で生まれたのですが、親や親戚など身内にやきもの業界で働いている人はいませんでした。だから、自分がやきものを手がけるとはまったく考えもしませんでした。
高校卒業後は東京の専門学校へ入学。そして、福岡の広告会社で商業デザインの仕事をしていました。やきものに関わるようになったのは、友人が陶器製造会社を設立し、デザイナーとして誘われたのがきっかけです。当時、自分の作品をつくってみたいという思いがあり、やきものに対する気持ちが芽生えてきたころだったので、勉強をはじめました。
最初の3年間は波佐見焼の窯元に勤め、その後、フリーのデザイナーとしてさまざまな窯元でデザインをするようになりました。以来25年にわたり、三川内から波佐見、有田、伊万里などの肥前地域全般の窯元、商社でデザインをしました。
当時、窯元の跡継ぎは必ずしも絵描きやデザイナー、陶芸家ではありませんでした。大学に行って経済を学び、経営に携わっていました。職人さんも決まりきった絵柄は描けるけれど、無地の状態で花鳥や山水の絵柄を描くことは得意ではありませんでした。
私は元絵を描いたり、ゴム版をつくったり。また、やきものの形や絵付など、商社から依頼される仕事は多岐にわたっていました。だからこそ、波佐見、有田、伊万里などのつくり方の違いを、徹底的に頭と体に叩き込むことができました。
現在は一人で作業をしていますが、独立してからしばらくは、若い描き手や家事の合間に時間がある女性たちが教えてほしいと来ていました。うちは研修所ではありませんから、仕事として絵付けをしてもらってきました。
素材や道具からわかること
同じ藩窯だった三川内焼と鍋島焼。その共通点は、絵具の磨(す)り方、濃(だ)みの手法です。波佐見焼と有田焼は絞り濃みですが、鍋島焼と三川内焼は筆の軸を持って、濃みをします。さらに、三川内焼も鍋島焼も赤絵と同じように絵具を粉から練り上げていきます。それは細い線を描くために必要だからです。絵具の水溶きをしたからこそ、最後まで持ちが良く、同じ調子できれいに描くことができます。
また、鍋島焼は葉っぱ一枚でもすべて筆の先を止めます。波佐見焼や有田焼、三川内焼は筆を流して、すうっと抜くような感じで描きます。
デザインは、素材や道具を理解しないとできません。鍋島焼だから幾何学的な意匠にすればいいというと、単に表面的なものになってしまいます。職人さんたちは先輩たちから手ほどきを受けて身についているけれど、他と比べることをしないので違いがわかっていないことが多いです。
義窯として独立してから私が取り組んだのは、「唐子」です。当時は色絵で唐子を描いている人がほとんどいませんでした。だからまず、色絵の唐子を描いて認知してもらおうと考えたのです。
三川内焼の今の流れとして、絵付けをしない傾向になってきています。販売しているものは、色絵や形状がシンプルなもの。今、絵付け職人を育てる環境を整えていかないと、その伝統が途絶えてしまいます。
しっかりと絵付けをし、ロクロを挽くのが三川内焼の本質です。最近は印刷や転写が発展していますが、それを行うと他の商品と見分けがつきません。いくら形や釉薬が良くても、最終的に絵付け職人がいなくなると、三川内焼でなくなってしまう。手描きの職人、後継者をしっかりと育てていきたいと考えています。
インタビュー:2020年10月25日