嘉久正窯 かくしょうがま
平戸藩御用窯の創立に力をなした中里茂右ヱ門(もえもん)を祖とする、350年前から続く窯元です。三代目茂ヱ門の三男が里見と性を改め、藩御用窯として技術の研鑽に励み、三川内焼の中で、最も代表的な伝統技法の一つである手描きの染付(青華)技法を継承してきました。確かな線を重ねて、上品で繊細、淡く柔らかな染付が特徴です。
パターン化しないで「一枚の絵」のようにていねいに描く伝統を受け継ぎながら、新鮮なデザインにも意欲的に取り組んでいます。一方で、明治・大正時代に主流であった、型を活かした高級食器の再現も行っています。
- 住所
- 長崎県佐世保市三川内町689
- TEL/FAX
- 0956-30-8765
- 展示・販売所
- あり(不定休)
- カード支払
- 可
- 取り扱い
- THE COVER NIPPON、 ホテルオークラ・JRハウステンボス、Japan Pottery Net、三川内焼オンライン・ショップ
- 代表的な技法
- 染付
窯元「いま」語り
嘉久正窯当主 里見寿隆 さとみ・としたか
教員を希望した学生時代
学校の先生になりたいという思いがあり、大学では教育関係の勉強をしていました。父には「家業を継げ」と強制はされていなかったですし、母も「とりあえず大学には進学しなさい」と。でも、周りからは「いずれ跡取りになるのだろうな」と思われていたので、ずっと中途半端な気持ちを引きずっていました。就職の時期になり、自分の将来を見すえたときに、家の仕事を職業として見てみると、「いい仕事だな」と実感しました。そこで、やはり後を継ごうという決心がつきました。親に相談をすると、「京都に訓練校があるからそこへ行ってみなさい」。京都には、うちの絵付職人さんが学んでいたという縁があり、父も陶器の視察の際には必ず清水焼を訪れていたという背景もあったからです。そのため1年間、京都の訓練校へ通いました。その後は、清水焼の高野昭阿弥さんのもとで絵付師として4年間修業をしました。家業を継ぐということを了解してもらった上で雇ってもらったので、絵付けは上絵から下絵、いっちんなど、さまざまなことを経験させていただきました。
さらに今度は1年、釉薬の研究をするために長崎県窯業技術センターへ研修生として行きました。授業は9時から17時まで。でも、釉薬ばかりを手がけていると腕がなまるので、後半は家業の仕事である染付の形の見本づくりをしていました。
余白を生かした表現
三川内焼と京都との違いは道具です。特に筆。京都では主に面相筆ですが、三川内焼はもっと細い陶画筆です。慣れるのに時間がかかりました。その代わり、濃(だ)みは三川内焼の方が、筆が大きいだけで違和感はあまりありません。有田焼の絞りダミだけが違うという感じです。ただし、絵柄、デザイン性がまったく違います。京都は伝統柄があり、ほとんどが祥瑞。三川内焼は余白を生かした細描きです。呉須の濃さの違いもあまり気になりません。しかし、京都では、呉須をガラス版で擦り絵付けしていましたが、三川内焼では乳鉢で擦った呉須で絵付けしています。
また、三川内焼の特徴は淡い染付。フォルムに関しては薄づくりです。三川内焼は繊細という表現がよく使われているように、縁づくりにも気を使います。そして重さ。軽すぎず、重すぎず、厚すぎず、薄すぎず。こういった感覚的なところを意識して、私は三川内焼を手がけています。
「有田焼とは何が違うの?」と言われることがあります。わかりやすく言えば、藍色の染付が有田焼で、水色は三川内焼です。さらに、三川内焼は薄づくりなので、口当たりが良くて、飲むうつわには適しています。自分の中ではやはり線描きの細さ、骨描きの写実性に限ります。絵のように描くという狩野派の屏風絵や日本画の特徴のものがメインになっています。これが描けるようにならないとまだまだ未熟だなと最近、特に思うようになりました。現在は祥瑞などの総柄ものもが販売物としては売れています。なので、それに寄りかかりがちですが、やはり余白を生かす、そして絵のような表現を心がける。それができないと今後、三川内焼を盛り立てていくのは弱くなってしまうと思います。
インタビュー:2020年10月25日