光雲窯 こううんがま
陶祖神として祀られている如猿(じょえん)こと今村弥次兵衛(やじべえ)以来、連錦として続いてきた三川内の白磁づくり。その後裔(こうえい)として新たに開いた光雲窯は、現当主今村隆光で十四代目です。
巧みな筆づかいで細い線を駆使して描いた、古典的な山水や獅子、龍。鯨の文化が溶け込む長崎の風土ならではの鯨のモチーフ。そして数十年ぶりに再現した「置き上げ」。この窯元ならではの技術が、みかわち焼の伝統を伝えると同時に、ひと目でわかる独自の器を生み出しています。
- 住所
- 長崎県佐世保市三川内町828
- TEL/FAX
- 0956-30-7232
- kounimamura828@yahoo.co.jp
- 展示・販売所
- あり
- カード支払
- 不可
- 取り扱い
- THE COVER NIPPON、三川内焼美術館、三川内焼オンライン・ショップ
- 代表的な技法
- 染付、置き上げ
窯元「いま」語り
光雲窯 当主 今村隆光 いまむら・たかみつ
有田で二十年間の修業
父親が三川内焼のロクロ師だったので、中学を卒業してすぐにこの道に入りました。子どもの頃、京都から来ていた日本画の絵描きさんが近所に住んでいました。小学校の授業が終わってから、夜になるとその方のところへ染付の勉強をしに行きました。習いはじめた次の年に、みかわち陶器市が開催されることになり、自分の作品を出品しました。小学5、6年生の頃です。最初に奨励賞を受賞し、次の年は努力賞。まだ賞状を持っています。そんなこともあり、中学を卒業したときに父が仕事先を探してきてくれて、有田のやきものの会社に入社しました。
ちょうど佐賀県立有田工業高等学校で定時制がはじまり、昼間は会社で絵付師として仕事をし、夜は学校のデザイン科で4年間勉強しました。会社では最初に釉彩を行いました。撥水剤の入った絵具で色を塗り分けます。この釉彩を5年ほど行った後、今度は染付の先生の助手として、先生の絵を見本にして、有田の染付を勉強しました。山水画から花鳥図まで20年間です。そして、36歳で会社を辞めて、実家に戻って独立しました。
置き上げ技法を追究
私が三川内焼を手がける上でのこだわりは、濃くて細い線を描くということです。三川内焼は線が細くないといけません。細い線で描くと絵は大きく見えます。線を太く描くと有田焼になってしまいます。また、有田焼はダミのスペースにしてもデザインで割っているような感じがあります。三川内焼は絵そのもの。有田で修業をしましたが、自分には有田焼よりも三川内焼が合っていると実感しています。
10年ほど前から展覧会に出品する際に、立体的な表現をしたいと思い、ロクロをし、貼り付けをはじめました。しかし、貼り付けは難しい。継ぎ目にヒビが入ると、乾燥した土を溶いたものでしか埋めることができません。だから貼り付けではなく、置き上げを追究して自分の中で完成させようと思ったのです。
置き上げはさまざまなタイプがあります。私は鳥の絵が一番やりやすいです。作品を外に出して恥ずかしくないと思ったのが、鶴と龍の盃を制作したときです。完全に乾燥させるまでに1ヶ月。そして、デッサンして、置き上げをするまでにも時間がかかります。布で拭って平らにする。水で削るようなものなので、なかなか平らにするのは難しい。半年にひとつ。有田にいたときは置き上げをするとは思ってもいませんでした。三川内焼だからこそ突き詰めていこうと決心しました。
クジラのモチーフとの出合い
クジラのモチーフを描きはじめたのは、独立した次の年からです。みかわち陶器市に出店しはじめて2、3年したときに、たまたま私が描いたクジラのコーヒーカップを購入してくれたお客さんがきっかけでした。その方が次々に注文をしてくれました。だからこそ、クジラを正確に描かなければいけない。お客さんからも資料を送ってくれたり、「マッコウクジラはこういう尻尾だよ」と教わったりもしました。特にマッコウクジラは難しい。アゴは細いのに、体が途中から大きくふくれてくるからです。クジラの絵柄を描いていくうちに、鯨の同好会の方たちとの交流もできました。平戸藩で行っていた捕鯨の歴史。ただ単に花鳥風月ではない、三川内焼ならではの長崎らしさにあふれた絵柄をこれからも追い求めていきたいです。
インタビュー:2020年10月24日