平戸藤祥五光窯 ひらどとうしょうごこうがま
陶号「平戸藤祥」は、寛永14年(1637)、初代当主が、平戸松浦藩御用窯である三川内皿山創設窯方五家の一人として、拝命参加した時に始まります。
高度な技術による極薄手磁器「卵殻手(らんかくで)」を完全手ロクロで制作する窯元です。江戸時代末に西欧を魅了した三川内焼(平戸焼)極薄手磁器の技術と魅力を再現しています。さらには、伝統的な染付に加えて、辰砂釉(しんしゃゆう)・窯変・結晶釉(けっしょうゆう)・釉裏紅(ゆうりこう)・天目・曜変にも挑み、幅広く制作しています。
- 住所
- 長崎県佐世保市三川内町710
- TEL/FAX
- 0956-30-8641
- 展示・販売所
- あり
- カード支払
- 可
- 代表的な技法
- 卵殻手、染付、結晶釉
窯元「いま」語り
藤本江里子 ふじもと・えりこ
天女のような柔らかい線
「女性が描くとこういう線になるんですね」
私の絵を見てくださった方からよく言われます。「針切」というかなの書。線が針のように細く鋭い書体です。学生の頃、細いのにピンと張ったヴァイオリンの弦の音のような針切の姿が美しいと思い惹かれていました。しかし、針切とは違う柔らかい線をやきものに描くとは、そのときは思ってもいませんでした。
曽祖父は寺社仏閣に納める扁額を描く絵師でした。今も天女を描いた扁額が実家に飾ってあり、それを見上げながら子ども心に「天女のような柔らかくて、流れる線を描いてみたいな」と思っていました。
大学生の頃、古美術研究会に在籍し、障壁画や仏像などをよく鑑賞に行きました。そのときは自分の制作のためにではなく、純粋に「あぁ、きれいだな」と。それが今の唐子を描く際にも反映されていて、特に仏像の光背にある飛天のような、ふわっと、ひらひらっとしたものを描きたいという気持ちがあるのかもしれません。
大学を卒業した後は、佐世保市で公務員をしていました。市政情報紙「広報させぼ」の編集局が同じフロアにあり、その主幹の方が三川内焼に精通していました。その方と話をするうちに、だんだん伝統工芸である三川内焼の後継者になりたいという気持ちが湧いてきました。
夜間に伝統工芸士育成教室へ通いはじめましたが、そこは型物だけ。物足りなくなって、手ロクロのできる人を紹介してもらいました。それが夫となった13代目平戸藤祥の藤本岳英でした。
私の実家はやきものの販売をしています。でも、やきものの商人はデザインができる人が多く、私の父も自分でデザインの下描きをしていました。また、家の周りにはやきもの屋さんが多かったので、子どもの頃から工場を覗いたり、遊んだりしていたため、嫁いだ先が窯元で、その仕事をすることに対しての違和感はまったくありませんでした。
うつわというキャンバス
「牡丹を描くときは、実際に牡丹を眼の前に置いて描きなさい」
私が教わった絵の先生の言葉です。だから、私もつゆくさを描くときは、つゆくさを机の上に置いて、花びら、葉の根元の節の出方を見ながら描いています。だからこそ、量産をしているようなパターン化された絵ではなく、どの絵も生き生きとした感じが出ていると思います。これが個性になっていればいいなと思っています。
私は正式に日本画を学んでいませんが、夫は京都で日本画の勉強をしていました。「たらし込むときは、こういう筋の処理をする」などを夫から学びました。この日本画の技術をやきものでどのように表現するか。それに今、挑戦しています。
夫は途絶えていた「卵殻手(らんかくで)」の技術の再現に成功し、さらに完成度を高めようと試みています。今の三川内焼で夫の技術を継いでいる人はいません。その三川内焼を代表するボディに、どんな絵を描けばいいのだろうか。そう考えたとき、美しい日本画が頭に浮かびました。
線を描くだけでなく、絵に仕立て上げる技術。風景、植物などをうつわというキャンバスにどうやってはめ込んでいくかを、昔の絵描きさんは考えながら描いていたと思います。だから私も、文様でもあるけれど、もっと奥行きのある絵を描きたいと思っています。
インタビュー:2020年10月25日